目を覚ますことと起きることは違う。 awakeとwake upだったっけ…。 記憶は遠い。 自分の存在の小ささに気づいたのはそんな違い。 朝、目を覚ましてはいるのだけれど まだ起きてはいない時に 目を開けずに周りを見た。 きっと目を開ければ見える光景… と同じではない。 畳まれた横の布団はとても大きく 窓から差し込む光は白く強く 点いていない灯りはそれでもそこにあった。 自分以外の全てが大きく強くそこに存在していて その中にいる自分はとてもちっぽけだった。 普通、自分の存在の小ささに気づくのは 世界が広いことに気づいてからだろう。 家だけじゃなく学校だけじゃなく公園だけじゃなく 友達の家だけでもなくスーパーだけでもない世界に 人は気づくのだけれど それよりも先に周りの全ての存在の大きさに気づいた。 これは画期的なことだった。 目を閉じて見た世界はますます広がる。 木でできた急な階段を下りれば、 ちょっとした間があって、 靴箱が横にある広めの玄関が見えて、 短めの廊下の横には台所があり 食器棚と冷蔵庫に挟まれた向こうに流しがある。 廊下の反対側には居間があって、 アニメ番組を見てはエンディングの歌に合わせて ごろんと転がる。 奥には砂鉄と磁石を利用したお絵かき板や ネットのしっかりしていないピンポンがある。 廊下の端に洗濯機が見えたな。 風呂場は丸いすべすべした石がはめられた床だ。 オルガンのある間は夏はひんやりして気持ちいい。 ここで文学全集を読む。 たくさんのお話に埋もれて色々な歌を歌う。 起きて、階段を下り、朝御飯を食べて、 そしたら外に出て玄関周りを掃くかもしれない。 さまざまな植物の鉢の間を縫うように掃き、 それから遊ぶかもしれない。 そっと体を起こす。 しかし風景は違った。 同じ土地と移り行く時間のいたずら。 床は絨毯ではなくフローリングで 階段には手すりが付けられている。 玄関前はもはやすぐ道ではなく 塀と門が設けられている。 自分もちっぽけな割にはちょっと大きくなり ちっぽけさの感じに触れないようにしてきたよう。 忘れずにおこう。 また目を覚ました後、起きる前に思い出すことがあるだろう。 周囲の大きな存在感。ちっぽけな自分。 朝が来た。 |