○SSの引き出し

・帰り道


夕方。複数の路線の集まる駅周辺だけあって,サラリーマンが,学生が,多く交差する。

下にバス・ロータリーの広がる,駅から繋がった歩道橋には,
自然と,人の行き交う方向によって,流れができていた。

久々の買い物だった。かれこれ,1ヶ月半ほども,スーパーへは出かけていなかった。

日用品は,いくらか買い置きがあるからいいとしても,
食料は,壊滅的に何も無かった。

深夜,家に帰り,しんと暗い部屋のなかで,ぶーんと時々思い出したように唸る冷蔵庫は,
その中が空っぽなのだと思うと,(いや,ちょっとした調味料なんかは入っていたけれど,
それだって,なんだか空っぽさを煽るばかりだ)
これが,空虚ってものか,なんて,虚しさどころか,無常観すら達せそうな程だった。

でも,それも,今日のこの買い物で,また満たされるのだ。

肉に,野菜に,果物に,魚に,惣菜に,漬物に,菓子に,デザートに。

とりとめもなく,目に付いたものを,手当たり次第,
とりあえず,という感じで,カゴへ放り込みながら,
いつ,何を,どうやって食べようかなんて全く思い浮かばないまま,
なんとかして,食べるだろう,と,大まかな予測で,買い物をした。

両手に3つぶらさげた,大きなスーパーの袋は,どれもぎゅうぎゅう詰めで,
そのどこに何が入っているかなんて,
さっき買ったばかりとはいえ,少しも思いだせそうに無かった。

とりあえず,買った,ということが大事だった。

とりあえず。そう,この1ヵ月半,いや,もっと長い?2ヶ月以上?は,
とりあえず,の期間だったのだろうと思う。

とりあえず,なんとかなるだろう。とりあえず,なんとかなってるんだろう。
とりあえず,なんとかしてゆけば。とりあえず,なんとかなる。
とりあえず,大丈夫,と信じたかった。そう,信じたかった。祈っていた。願っていた。

1人で部屋に帰るのは,少しも変わらないのに,
1人で冷蔵庫を開けるのは,何も変わらないのに,
そう,1人で暮らしていくのなんて,何も,全くもって,何も変わらないのに,

だのに,決定的に,違ってしまった。とりあえず,は,終わった。永遠に。凍りつくように。

空っぽの冷蔵庫の上の,空っぽの冷凍庫に,製氷器。

なんの理由も無いけど,開けては,氷をばらばらと箱に落とし,
水道で器に水を張り,そっと,冷凍庫に入れて,凍らせる。

また,しばらくして(数日か,1週間か,そんなぶりで),冷凍庫を開けて,
白く凍った氷を,ばらばらと箱に落とし,また水を張り,入れておく。

すると,また凍る。ばらばら。凍る。ばらばら。ばらばら。ばらばら。

もう,箱には,入りきらないほどの氷があって,途方に暮れたのが,昨日(夜遅く)のことだった。

あまりに,ばらばらとたくさん入っているので,なんだか悲しくなってしまって,
ばらばらと,ばらばらと,部屋に撒き散らしてやった。

思ったより,音がしなくて,なんだか,それすらも悔しくなってきて,悔しくて,
だから,手につかんだ氷を,今度は,がりがりと噛んでやった。

歯が,ぎりぎりする。唇が,舌が,口内が,麻痺する。手が,震える。

頬が,熱くて,泣いていることに気づく。あまりに,可哀相で,仕方なくなって,

私は,大きく,叫んでやった。こんなに。こんなに。ばらばらと。がりがりと。ぎりぎりと。

なのに。どうして。なんとか。ならないの。

そうしたら,そう,こうして,今,買い物が終わって,歩道橋を降りて,
バス停へ向かう,ということにつながるわけだ。

そういえば,何の飲み物も買わなかった。氷を入れて飲むようなものは。

知らない間に過ぎていた,この期間は,忘れてしまおう。きっと,溶けていくだろう。

無かったことになる。これまでのことは。

なんだか,忙しかったし,無かったことになる。これから,
当たり前の日々が,やってくる。

冷蔵庫を開けて,あぁこれは何日までだから,いついつに食べよう,
これは作り置きしといて,冷凍庫に入れとこう,夜中に帰るかもしれないし,
なんて,思いながら,台所に立つのだろう。

ふと,思い出し,視界が曇りそうにもなったけれど,これも,無かったことにしよう。

1人で食べるのなんて,当たり前じゃないか。

自分で作り,自分で食らう。ごくまっとうじゃないか。

何にでも合って,万能な粉チーズが,袋の一番上にあって,
今日は,何にこれをかけてやろうかと思う。家に入る直前には,決まるでしょうよ。






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